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共感覚者が書いた本。
「ぼくには数字が風景に見える」も読みましたが。
それとはまた全然違う共感覚の持ち主です。
というか、感覚の幅が色を中心にして広いんですね。
文字は全て色が付いて見える。
人に対しては、色や形だけでなく手触りや味まで伴う。
同年代の女性に対してはなんと性周期(生理周期)まで「みえる」んですって!(←あえて「見える」ではなくひらがな表記にした意味を察してくださいね)
生理不順で自分がいつ生理になるかわからない私自身よりも、この人の方が私のことを理解できちゃうわけですよ。びっくりです。でもそれって「何」を感じてるんでしょうね。ご本人にもはっきりしたことはわかっていらっしゃらないようですが、これはものすごく興味があります。
以前は、
言葉の響きとイメージを結びつける作業は、誰もがある程度行っているのだけれど、その感覚がとても強くなったのが、共感覚というものなのかもしれない。と書いたのだけど、そうじゃなくて、私たちが、元々持っていた能力を失ってしまったのだ、というのが著者の主張。なるほど、そうかもしれない、と本書を読んで思いました。
著者は「日本人」「男性」であることに非常にこだわり、日本人のルーツにじぶんの共感覚の起源を求めます。
私の「共感覚の語り方」は「私個人の共感覚体験談」であると同時に「日本文化論」でありたいと思う。という記述もあります。
実際のところ、共感覚と、その人の持つルーツ(人種、育った地域や環境、宗教など)との関連はあるのでしょうか。これからの研究なのでしょうが、気になります。
日本の脳科学者や心理学者には、もっと日本の古典を読んでほしい。日本の古典の教養を伴わない色彩学や脳科学・心理学は、近い将来、とても怖い結果を生むだろう。とありますが、この辺なんかは、この著者独特の感情でしょうね。失礼ながら私にはここまでの危機感は実感できません。私自身がそういう場面に遭遇したことが無いからでしょうね。
欧米の言語感覚が入ってきたことで、日本語の言葉の意味づけが変わってきたことを著者は嘆いているようです。気持ちはわかるのですが、私は著者ほど日本語にこだわりがないのでしょうか、そういう変遷も含めて日本語が時代とともに変わっていくのはある程度仕方がないのかな、と思っています。
ちょっと違うんじゃないかな、と思ったのは「読字障害」について書かれたところ。
文字が読めないことを世の中では「読字障害」というらしい。
文字が読めないのが病気だと言うなら、戦前のいわゆる先進国の国民でさえ、大量の人間が病気ということになってしまうではないか。ここがね。ちょっと話が飛躍してないか? と思ったわけです。ここで言っている「戦前のいわゆる先進国の国民」にはそういう教育を受けてない人が含まれてない? 教育を受けてなかったら読めないのは当然じゃない? と思ったわけです。どうなんでしょ。そういうことを言っているんじゃないんだろうか。私の読み間違いだろうか。
あと、個人的におもしろく読んだのが、2章の「色彩後の変遷」を中心とする、色彩に関する話題。色彩検定を受けたりして(3級持ってます)色には興味があるので。
全く「普通」の感覚しか持っていない私には、共感覚者の見ている世界はとても不思議です。おもしろかったです。
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